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2008年10月26日 (日)

ミニ朝日新聞の奇跡

うちは新聞を取っていない。


結婚と同時に新居に引っ越してから1年以上が経つのだが、

新聞がなくても生活に支障はなかったので、

ずっと後回しになっていた。


でも最近、無性に新聞が読みたくなり、ダンナとこんな会話をした。

「うち、いいかげん新聞とらない?やっぱ新聞ないのキツイと思うんだ。」

「オレもそう思う。やっぱとるなら朝日がいい。」

「無料お試しキャンペーンとかやってないのかな?」

「朝日新聞に問い合わせてみようよ」


会話はそこで終わり、結局その日は問い合わさないまま翌日を迎えた。


会社から帰ってきて、ポストの郵便物をチェックした。


すると、

数通の郵便物にまぎれて、


「ミニ朝日新聞」


という宣伝用の朝日新聞がポストに入っていた。


ミニ朝日新聞の包みには、


「7日間無料お試しキャンペーン実施中!」


の文字。


ラッキー!!


今まで朝日新聞の広告が入ってきたことは一度もなかったのに、

「ほしいな」と思ったとたんに、向こうからやってきた。


ナイス引き寄せ(笑)!!

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2008年10月 6日 (月)

阿佐ヶ谷のガネーシャの奇跡

先日、「夢をかなえるゾウ」というドラマを見た。

そのドラマの中で、

小栗旬扮する主人公の男性が、

自宅に住み着いた「ガネーシャ」という関西弁を話すゾウの神様に向かって、


「オレ、変わりたい!」


と懇願するシーンがあった。

そしてガネーシャはその主人公に課題を出すのだが、

一番最後に出す一番大事な課題が、


       「感謝する」

ということだった。


そのシーンを見て、私は5年前のある出来事を思い出した。


5年前、私は自分のことが大キライだった。

常に自分と人とを比べては落ち込み、嫉妬し、怒り、不安にかられ、

何をしていても、誰といても、心の底から満たされることはなく、

でも、プライドだけは高くて、

どこか人をバカにしたような態度を装って、ダサイ自分を必死で隠していた。


当時、言葉に出して言ったことはなかったけど、心の底に浮かび上がる言葉はいつも、


     「苦しい」


だった。


そして、「苦しい」という状態は、自分の中でどんどん顕在化してゆき、

それと同時に私の中である一つの強い意志が芽生えていくのがわかった。

それは、

      「変わりたい」


という強烈な思い。


気づくと、いつも心の中で、

「私は変わりたい。私は変わりたい。私は変わりたい・・・・・」

と呪文のように唱えている自分がいた。


そのうち、


「私は変わりたい。」


「私は変われる。」


「私は変わる!!」


と、

その呪文は唱えるというより、もはや決意表明のようになり、

挙句の果てには、


「私は変わる」


という言葉をノートいっぱいにエンドレスに書きなぐったりしていた。


このへんから、完全に正気の沙汰ではなかった。


しかし、

そんなことをしても、

いっこうに変わる気配はなく、相変わらず満たされない日々を過ごしていた。


それから2ヶ月ほどがたった年の瀬のある日。

当時、ある一つの夢を目指して一緒に仕事をしていた仕事仲間2人に呼び出され、

私たちは居酒屋に行った。


仕事の話をするのかなと思いきや、

仲間のCはノートを見ながら、

いつも優しいCとは思えないほど怖い顔と怖いしゃべり方で話し出した。

話の内容は、

私の今までの言動や行動、態度が、どれだけ非常識でありえないか、

どれだけ場の空気を悪くし、人に迷惑をかけているか、ということについて。

Cのノートには8ページにわたって私へのコメントをまとめたものがビッシリ書かれていた。

最初、

何が起きているのかわからず、頭が真っ白になった。

「なに?なんで?私の何がいけなかったの?」

という思いばかりが頭をぐるぐる回り、

なんで自分が二人に糾弾されているのかがまったく理解できなかった。


Cの容赦ない追及に対して、理解できない私はとんちんかんな答えを繰り返すばかり。


あきれ果てたCは言った。


「gbuには感謝の気持ちがないんだよ!!」

私はとんかちで頭を殴れたようだった。


「感謝?今まで感謝してたつもりだけど・・・ちがうの?」

店を出て当時住んでいた阿佐ヶ谷のアパートに帰るまでの間、

私の脳は完全に思考停止状態だった。

信頼していた仲間に突然自分を全否定され、

自分の何がいけなかったのかも理解できないまま、

部屋に帰っても、ひたすら放心しコートも脱がずにただ鏡に映る自分を眺めたまま立ち尽くしていた。

「感謝ってなんだ?」

私はおもむろにノートを取り出し、まるで何かに突き動かされるように、

一心不乱にペンを走らせた。

生まれたときから今までに、家族や友人、先生、先輩など、私と関わった人すべてにしてもらったことを、

思いつく限りすべて書き始めたのだ。


飲まず食わずで丸一日部屋にこもりっきりで私はひたすら書き続けた。


書いてる途中、突然何かがスコーンと抜け落ちたような感覚に陥った。


「あ、これだ・・・」


私の中で、「感謝」の本当の意味が腑に落ちた瞬間だった。


それから、今までせき止められていた私の中の暖かい血が、

一気に全身に流れ出した。血が入れ替わった瞬間。

「私はホントの意味での感謝の気持ちとか、謙虚さというものをすっかり忘れていた。

恵まれた環境にアグラをかいているだけのただの勘違い野郎だったんだ!」


その日を境に、

私の心の中の「苦しい」は、すっかり消えうせた。

すべての人や物、出会いや出来事に感謝の気持ちを持つことにより、

「自分は生かされている」という謙虚な気持ちでいられ、

目に映るものすべてが色を持ち、温度を持ち、心を持ち、世界が豊かになった。

それはつまり、私が本当の意味で満たされ、変わったことを意味するのだった。


その数日後、

しばらく会っていなかった私の友人から一通のメールが届いた。


「昨日、gbuが国民的美少女コンテストに優勝し、
今までの忌まわしい過去をすべて抹消して、清々しい女性に生まれ変わったという夢を見た」


すでに国民的美少女コンテストに応募できる年齢では到底なかったので、

そこは無視するとして、

私の変化をいち早く察知した友人からのメールに驚かされた。


私が「変わりたい」と思ったときに、私の阿佐ヶ谷の部屋にガネーシャはいなかった。

でも、私は変われた。

実は、ガネーシャはいつでも私たちのそばにいて、「変わりたい」と心底願えば、

思いがけない方法を使ってその望みを叶えてくれるのかも知れない。

もっと言うと、

自分が望めばその望みは必ず叶えられる。


つまり、

ガネーシャは自分の中にいる、ということ!


私が変わるきっかけを与えてくれたCには、心の底から感謝している。

もちろん、Cは今も私の戦友であり、親友であり、恩人である。

本当にありがとう。

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